プシュカルにて日本語に想いを馳せる。

プシュカルには、「本を読むため」に来たといっても過言ではない。小さな街、親しみ深いホテル、のんびりしたレストラン。チャイ、ラッシー。
イスラエル人と韓国人のオアシス・プシュカル。韓国人の夏休みが終わった今となっては日本人ってか東アジア人私一人で、気が付けばジャイプルからこっち一言も日本語を口から発していないことに気づく。
しかし私の頭の中は日本語が渦巻いている。というのも今回持ってきた本、書かれた時代や内容は全く異なるもののあるひとつのキーワードによって偶然にもリンクしていたからである。
高橋源一郎日本文学盛衰史
谷崎潤一郎文章読本
井上靖敦煌
これらに共通するのは「人々の力により、言葉は創られ葬られる」ということ。「言葉の力」にすっかり魅了されている。
だって、読めなかったときは記号にすぎなかったデーヴァナーガリー文字だって、勉強するにつれ「意味を持った言葉」に変化していくのだもの。日本人のよこで、私とインド人はヒンディー語を使って秘密の話を堂々とすることだってできる。
そうして私は、やっぱり日本語が好きだ。日本語の持つ、曖昧な、沈むゼリーのような味わい。

おみやげも大量に買いました。ショッピングの街でもあるプシュカルです。