なかなかコピーをしてくれない。

megh2006-02-23

今日こそ文献のコピーをしてもらわないといけないわ、何か作戦をたてないと。と私はオフィスのマズハルさんという偉い人が「ちゃんと勉強できているかい?何か問題はないかい?」とおっしゃったときにすかさず「サー、ひとつ問題が・・・」といってコピー係がなかなかコピーしてくれないことを告げ口する作戦にでる。マズハルさんはすぐに図書館に電話を入れ「おい、今すぐコピーしろ」と言ってくださりその後図書館に行ってみると昨日まで何もしなかった担当者が必死になってコピー機と格闘していた。
 本当にこのパキスタンという国は良くも悪くも権力というものに弱い。パキスタンの経済会議に出席したときに、「パキスタンと上手にビジネスをするためには現地でよいパートナーを作ることだ」といっていたけれども、それはすなわち現地の権力者と懇意にしていれば下がちゃんと動くし、そういったコネクションのない人が下を動かすのはなかなか難しいということを意味するのではないだろうか。
 現に私がこうやってパキスタンでありがたくも悠々自適の生活を送っていられるのは、私の大学の先生、先輩方がこちらで高い地位の人物として名前を知られているからで、「○○先生の教え子」「○○先輩の後輩」というだけで私にまでその価値が付随しお姫様扱いを受ける今の状態があるわけである。
 今回のダンスについての調査でも、そういった先輩方がひとつひとつ築き上げられたバックグラウンドがなければ円滑に進まなかっただろう。こちらの一般の人ならまず会えない人たちに、こういった一介の学生がアポなしでインタビューできてしまうのだから。
 そんなこんなで今日もちょいと不気味な博物館をうろついていると、絵のコーナーにおじさんが座っている。もしかして画家の知り合いのお父さんなのではあるまいか、話しかけるとそうであった。
 お父さんも知り合いが私について話すのを聞いていて私のことをベーテー、と自分の子供みたいに呼んでくれた。お父さんに彼の近況を聞くにつれ、お嫁さんとうまくいっていないことが発覚。そういえば私が帰る直前、「奥さんと喧嘩したんや」と言っていたので少し心配していたのだ。けれども弟曰く最近二人目の子供が生まれたというので安心していたら、やはり問題は残るらしい。
 奥さんは家の仕事はしないし、お昼の1時まで寝ているしでお母さんの手伝いをしないらしい。彼には外国で絵を描くという夢があり、お父さんはそれならば誰か外国人の女性と結婚させようと考えていたのに、知り合いが「この子は本当にいい娘だからファヤーズ(彼の名)に」という言葉にだまされて、その今のお嫁さんと結婚させてしまったそうだ。彼は外国人が利用するクラフトショップで働いているし、容姿も悪くないから、お客さんの誰かと結婚することも出来ただろう。パキスタン人と違って外国人はパキスタン人と結婚する場合相手の身分をあまり気にしないからだ。それはもったいないなあ、と私はお父さんの人のよさそうな顔を見て残念に思った。この人は自分の嫁が仕事をしないからといって路頭に迷わせるようなことは出来ないだろう。
 昨日あんな風に大言造語を吐いていた弟の方であるが、お父さん曰く彼にも問題があるらしい。遊んでばっかりで仕事をしないし、コンピューターばっかりいじっていると。ふむ。どこの国でも家族にはなんらかの問題があるのだなと変に納得してしまった。
 結局コピーは半分しか出来ず残りは明日に。今日はシャリマールテレビというテレビ局の一番えらい人のアスラムジャハンギールさんの所に向かう。なんとテレビ局の中に伝統楽器を習う教室があり、JICAで仕事をしておられる日本人の方がそれを習いに来ていらっしゃるというのだ。講師の中で一番有名なのは、ウスタード・ファテ・アリ・カーン。あのスラット・ファテ・アリ・カーンの兄弟らしい。ヌスラットといえばパキスタンが唯一世界に誇るカッワーリー歌手、見た目も声も印象大、宇宙人に見まごう存在感、一度は来日もはたした大先生である。
 ウスタード・ファテ・アリ・カーンはなるほど大先生の名にふさわしい威厳、どっしりと座りハルモニウムを奏でながらお弟子さんに歌を教えていらっしゃる。私たちはちょこねんと教室の隅に座り、練習風景を眺めていた。そのあと大先生とお話もしたが、畑違いであまり話も弾まず、私は横に座っていた女性に今まで知らなかったインドゥーミーターというカタックダンサーの住所を聞き出すことに成功。彼女はイスラマバードに居るらしい、また会いにいってこよう。
 夜は宮田さんというたびたびお世話になっている方が家にいらっしゃって、夜中の12時半までおしゃべりガプシャプ。泥のように眠る。おやすみなさい。(写真はウスタード)