サニー・フランシスさんと私 前編

megh2006-01-31

昨日、友達と二人で扇町で行われたイベント「FOREIGNERS VIEWS」に行ってまいりました。
外国の旅行書に、なぜか大阪が「やくざの町」と紹介されているのをご存知でしたか?私は知りませんでした。このイベントでは、外国の人に大阪をもっとアピールするにはどうしたらいいか、どうしたらもっとたくさんの観光客に来てもらえるか、そもそも大阪に観光地としての魅力はあるのか。ということを、みんなで考えてみようというものでした。
なぜ私がそのイベントに参加したのかを先に述べますと、私が高校生の時から大好きだったサニーフランシスさんがパネリストの一人として参加されてたからです。サニーさんの「サニーどんぶり」という幻のラジオ番組を高校時代の私は毎週金曜日、わくわくしながら聞いていたのであります。なぜか録音して登下校の電車内でも聞いていたという傾倒ぶりです。
ここで「さにどん」ことサニーどんぶりで放送された名コーナーを紹介。
「見ること」が不可能なラジオという媒体で、「サニーの出すお題をいかに面白い漢字で表現するか」という「サニーのガンジーって漢字」というコーナー。たとえばサニーさんがカレーって言ったのをFAXで「科例」って送ったら、サニーさんがラジオで「えー次のカレーはですね、科学の科に、例文の例、ですね。これはですね。テスト中に・・・」などと勝手に漢字から連想するストーリーまで作ってしまうのですが何しろ耳で聞くだけなのでなんだかこころもとなくせつなくもあったコーナーでした。
「サニーのときめきダイアリー」はサニーさんが日々つづった日記をゆるゆるとした音楽にのせてエコーかけて読んでいくもので日々のちょっとしたことから昔のおとうさんの思い出なんか話して涙をさそったりして私は好きなコーナーでした。
ま、まだまだ面白いコーナーはあったわけですがマニアックすぎるので割愛。私はほぼ毎週、好きな小説の登場人物の名前をラジオネームにして、番組にFAXを送っちゃったりしちゃってたわけですが、深夜番組だということもあり、(また、探偵ナイトスクープの裏番組であったこともあり、)たいていはラジオで紹介されました。私は自分の名前が呼ばれるともうとてもドキドキしてしまって、自分で送ったにもかかわらずボリュームを最小にしたりして、でも耳をそばだてたりして、サニーさんのしぶい声で読まれる自分の文章を聴いていました。
実は、私がインド映画にはまったのも「サニーどんぶり」のおかげなのです。
あれは大学一年の春でした。それまでレンタルビデオ屋にはタミル語ラジニカーントの作品(ムトゥの人)が数作あるだけで、私はほとんどすべての日本人が考えるのと同じように「インド映画イコールラジニの暑苦しい笑顔」だと思っていました。で「サニーどんぶり」でいただいた「ミモラ心のままに」(原題はハムディルデーチュッケーサナム「私の心、あげちゃった、あなたに」という意。アイシュワリヤ・ライ、アジャイ・デーヴガン、サルマン・カーンの出演。ヒンディー語)の試写会に行き、初めてヒンディー語映画にふれ、まずアイシュワリヤ・ライのうつくしすぎる青い瞳にやられ、その長すぎる上映時間にやられ、習いたてのウルドゥー語の単語、「キヤハルヘー(元気ですか)」を聞き取れたことに感動し、一発でインド映画のとりこになってしまったわけです。
その試写会のとき初めて生のサニーさんを見たわけですが、オレンジと青の組み合わせの服になぜかターバンといういでたちは私に強烈な印象を与えました。(長くなりすぎたので続く。写真はアイシュワリヤ・ライ)