サナに再会する。

megh2006-03-07

LokVirsaにレポートを出しに行く前に、私の数少ないパキスタン人友達の1人、サナに会いにいく。彼女はラホールのパンジャーブ大学で、スペシャルエデュケーションという学科を卒業、イスラマバードの病院で勉強しながら働いているのでした。
サナと仲良くなったのは留学後半のことだったのだけれども、彼女は敬虔なイスラム教徒でありながら、「人は人、自分は自分」というパキスタン人にはありえないクールな物腰、ウルドゥー語でいうところのサマジュダール、かつ世話焼きでハイテンション。私たちはめっちゃいい友達になったのでした。
彼女はラホールで勉強していたときも養護学校で耳の不自由な生徒の手伝いをしていて、私もその学校に見学にいったりウルドゥー語の手話を教えてもらったり、一緒に早朝ウォーキングをしたりラジオ体操第一を伝授したり、テスト前にかくまってもらったり(寮で落ち着いて勉強できる場所を確保するのは至難のわざ)化粧をしてもらったり歌を歌ったり踊ったり、エロいインド映画に詳しかったりソリティアで変態並みのスコアを出したりという彼女と私の愉快な日々でした。
彼女が今勉強しているイスラマバードの病院は、「ここなら治療されたい!!」と日本人でも思うこと請け合いの清潔感。奥の大きな病室には先の北部地震の被害者が100名ほど、並んだベッドに寝かされていて、ここまで隠蔽されていた地震の被害の一端にようやく触れることができたしだい。
そういえば、カラチでアキール先生に「地震の被害者は今どうなっているんですか??日本ではまったく報道されなくなったし、パキスタンの新聞にものってへんみたいなんですけど。」と聞くと先生、「タクリーフ トー へー。バス ティーケ。(大変は大変と思うけど、まあ大丈夫やろ。拙訳)」となにやらひとごとな感じで、それ以上聞けなかったのでした。
サナにダーリンを紹介、彼女には彼のことをサブクッチュ話していたから。私たちがちょっとでも日本語を使えばサナは「今なんてゆうたんや!」とすかさず聞いてくる耳ざとい彼女。教室を見学したり病室を見学したり病院の先生と話をしたり、一時間ほど一緒にうろついてお別れ。会えてよかった。
それにしてもアミラといいサナといい、専門分野でがんばっている友人に会い私も負けないぞと自分に活。みててね、みんな。
無事レポート提出しそのままバスでラホールに帰る。着いたのは12時、リーガルインといういつも泊まっているゲストハウスに今日も泊まる。ダブルの部屋が空いていなかったので私は初ドミトリー。なんだか落ち着かないわ。
(写真はサナと私と清潔病院)